投資と投機とギャンブルについて

 
 
これらの違いについて考えたい。
 
 
投資と投機では明確な定義が無いのでココでは次のように定義する。

投資:将来期待できそうなモノに資本を投下するもの。配当、金利、優待を得つつ育てる等

投機:短期的な価格変動を機会と見なし利ざやを得ようとするもの

*投機は元々仏教用語らしい。
禅宗で師家と弟子の機(はたらき)が一つになる事。また修行者が大いなる悟りを開く事。転じて、機会をうまく得ようとする意味となり、更に偶然の利益・幸運を狙う行為を表すようになった。
ユライカ引用
 
 
こんな感じでいく。

私自身は、この界隈に触れた頃すでにデイトレードで行く気だったので投機という言葉を知りしだい投機と表すようになった。投資と謳い否定されるのが面倒だったのが一番の理由。世間では、投機?ナニソレ?となるので周りには普通に投資と伝えていた。

今では自身の中で両者に明確な違いは無い。なのでこれから説明する際に使う投資・投機の表現は「一般的に」の意味合いである事を覚えておいて欲しい。
 
 
私を含め、ココを見る殆どの方のメインはFXや先物などデリバティブ寄りが多数だと思うが、これら(デリバティブ)は問答無用に投機物である事は承知の上だろう。そんな私たちは総じて投機家である。

対する投資家は、不動産や株式など実体があるまたは実体に限りなく近いもの(現物)を長期で扱う。彼らは私たち投機家を格下に見ている事も少なくない。ちょっとしたサプライズで目の前の小動きに右往左往する投機家はやはり滑稽に見えるのだろう。
*もちろんそうとも限らない。

世間的にも、家に篭ってデイトレードなんかよりマンション経営をしていた方が印象はイイ。転売のように利ざやを抜くだけなのは何も経済的ではない。流動性?そんなもの知ったこっちゃないというように一般的にはまだまだこんなもので「ズルイ」という負荷価値も加わり、ニートより社会的地位は低かったりする。ゼロより後方のマイナスだ。

しかしよく考えてみると、リスクを背負い資本を膨らまそうとする行為である事に両者で違いはない。
きっと以前は上記全ての行為を投資と(当時は何と表現したか知らないが)分類されていた。こだわりなく状況に応じて利ざやを得たり長期で金利を確保したりしてきたのだろう。そんな中でとある投資家が、短期取引のつもりが思わぬ含み損を抱えてしまい、その焦りによって自己防衛やら正当化から投機を投機として区別しだしたと予想する。こんな短期の売買なんぞけしからんぞ的な。

それとは別にマーケットをかき乱しているのも私たち投機筋だという声もある。
短期で大きなレバレッジをかけて売買を繰り返し、それを追うようなアルゴリズムまで出現したとされる。しかしこれらの点については真反対の意見もある。

例えば投機そのものである「空売り」の概念。1950年代、ヘッジファンドの親 A・W・ジョーンズが現在の金融市場に持ち込んだ(または普及させた)と記憶しているが、ヘッジファンドらは、この様な反対売買が成り立つ事でより相場は安定すると主張した。私たち投機家が過度なボラティリティを防ぎ流動性に貢献している。という意見もあるのだ。

*空売りの歴史は古くからある。江戸時代には米価が空売りによる相場操作で市況が悪化し、後に様々な米騒動等を招いたという記録もあるらしい。こうして見るとやはり投機家は歴史的にもヒール役?
 
 
投資や投機に限らず、基本的にリスクを取る人の立場は弱い。失敗すれば「そら見たことか」と叩かれ、成功してもやはりズルイのだ。私たちは、社会の集団生活に属して上手く生きていくにはズルイ事はせずにひたむきに努力する必要があり、努力に勝るものは無いと教えられてきた。その傾向はこの界隈にも見受けられ、例えば多くの支持がある書物『投資苑』にはこんな文節がある。

*********
・成功するトレーダーのゴールは最高のトレードをする事です。
・あらゆる分野におけるプロフェッショナルがどのように振る舞うのかを思い浮かべてください。良い先生、医者、弁護士、農家、その他プロはおカネを儲けますが、彼らは仕事中に決して銭勘定をしたりしないのです。
・おカネは結果としてほぼ間違いなく後からついてくるのです。
*********

投資で稼ぐには決してカンタンではなく、日々の積み重ねが大事である。的なノリ。
 
上の表現にあえてツッコむのなら、
医者が患者の命を優先するようにトレーダーは利益を優先しなければならないのでは? 成果より行いを重視し、トレーダーの仕事が良いトレードをする事であるというのなら、医者は患者の命より良い手術を優先しなければならない。それこそ「手段が目的となっている」のではないか。手段の目的化とは、本来他の成果を得るための手段である行動について、その行動をとること自体が目的となってしまうことだ。
分析がしたいならアナリストにでもなればいい。おカネは結果として後からついてくるのだから。
 
 
そもそもトレードに模範があるかの様な前提が疑問である。その模範がハッキリと分かれば私たちはこんなに苦労しただろうか。多くの人があらゆる情報を求めると共に、多くの情報元(商材・書籍)が乱立しているのが現状である。需要があるから供給があるのは当たり前だ。つまり、この『投資苑』が存在する事自体、トレードにあるべき姿など無いのを証明している。

このようにそれ相応の努力が稼ぎに繋がるという信仰はこの界隈でも同じ事であった。
「努力は評価されるべき」だから「稼ぐには努力が必要である」または「努力をしなければ稼げない」という「〜であるべき」から「〜である」への飛躍。この論理的な誤りを道徳主義の誤謬とか言う。

こうして多くの人は信じる道を敷かれているのかもしれない。本を読んだり他人から教わるなど、知識を得るのはそれほど難しい事ではない。しかし自分で考えるとなると、天才でない限り基礎知識の上に創造というさらなる労力が必要となる。でもこう考えるのはどうだろう。稼ぐには努力が必要である。いや、努力をしなければ稼ぐことはできないのだ。
 
 
私個人の意見。
経済は長期で見るほどモヤがかかり読みにくいと思っている。中央銀行のトップですら道を踏み違える事も多々ある中で、一個人の私が読めると考える方がオカシイ。
投資の神様と称されるウォーレン・バフェットも10年、20年後に必要そうなモノ(事業)を買っていると言及しているが、情勢を読むだとか経済政策には殆ど触れていない。
はるか将来の需給を読むのはもはやスピリチュアルの世界であり、その才能を持っているかどうかはそれこそ運なのだと思う。努力で補えるなら、マジメな日本人からスティーブ・ジョブズが大量発生していてもおかしくない。私にとっては投資とはそういう位置づけなのだ。

対して投機はどうなのか。
投機のアプローチも様々だが、大部分は「相場を読みつつ回転を意識する」人が多数だと思う。相場を読むとはグローバル・マクロ的に政局を読んだり、テクニカルによって「分析」「検証」にて、より精度の高い相場予想をするもの。

回転を意識するとは確率的収束を追うもので、ソレを続けられるマインド、もしもの事故に備えた資金管理などを徹底するもの。
上か下か、ほぼ50%に収束する的中率を1%でも2%でも上げるにはいくら時間が掛かるのか、そんな事は誰にも分からない。エントリーのチャンスは無限のように語られるが時間は有限なので実はそうとも言えない。投資家といってもサラリーマンと兼業している方が多いと思うので尚更であろう。

情報量が多すぎるこの界隈では完ペキ主義では思うように前に進まず、私たちは何を学ぶ必要があるか常に考えなければならない。この事から「相場を読みつつ回転を上げる」をブレンドした所に着地した。おそらく殆どの人が。

もしもの有事から身を守る為の資金管理(リスク回避)へのアプローチ・考え方は短期で動く投機家も長期の投資家とさほど変わらない。また投資家に陥りがちな「いずれ価値を戻すだろう」とリスクを覚悟できて無かったり、価値が無くなるリスクを見落としたまま配当や金利を計算するなどといったものが投機では考えにくい。そんな事をしていれば明日にでも市場から退場できるからだ。

そうならないためにも、自分のできる事をしっかりこなし後は運頼みというのが私の考える投機家のあるべき姿である。

運頼みといえばギャンブル。
たまに「自分がしているのはギャンブルではなく投資(投機)だ」と市場をパチンコや競馬などと分け隔てようとする人がいるが、投資と投機の場合と同じく、リスクを許容しなければならないという点で違いはない。各国の金融政策を追ったり政治(企業)分析を図ったりなど、小難しそうな事をしていても本質的には何ら変わりない。
ソコを分別してしまう人はそんな生真面目さが仇となってリスクを受け入れられていないのかもしれない。市場分析でも「絶対」に近いものを追い求め、多くの時間と資金を浪費している可能性も高い。

対して、ギャンブラーと自称する人ほど予想を外しても「まあこんなもんか」と次の取引に集中できているというパラドックスが現実に起こっている。
今の自分がしているのは何なのか、利益を求めるのか、分析したいだけなのか改めて問いたい。

遅い結論となったが、私の中ではリスク管理の観点から投機家は投資家でもある。そして、それらはギャンブルと本質的な所では変わらない。わざわざ分けて考えるとヘタな思い込みにも繋がるので私にとってはどっちでも良い事。
ただし色々な考え方があるので、投資(投機)とギャンブルを完全に区別する人が居ても、ソレを否定する気はない。いつかの自分の言葉を借りるが「絶対ないは”絶対ない”」とも言い切れない。絶対はあるかもしれない。何かを断言する事こそこの考え方を否定する事になるので、上で主張したのは全て私の一意見である事を最後に記しておく。
 
 

 
  

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