IQテストについて 必要項目など

以下のテストを受けていただき、アンケートと合わせこの記事のコメント欄に入力してください。

コメントは匿名で公開される事はありません。第三者が閲覧する事、管理人が個人を特定する事は出来ません。なお、集計結果をまとめる際には、入力いただいた内容を統計として一部公開する場合があるのでご了承ください。
入力していただいた内容はこちらが確認次第、消去いたします。

 

●テストはこちら
緑のボタンを押してスタートです。これは年齢入力にあたります。検査は全て図形の選択問題で言語(英語)は必要ありません。

*結果は自動送信ではありませんのでアンケート項目とあわせてコピペか数値を入力をお願いいたします。結果URLは貼れない仕様となっています

●アンケート項目

○投資経験の有無及び年数
○収支 + or –
○投資スタイル(スキャ、デイ、スイング)などメインにしているもの
○性別
○職業 (任意)

 

目的

こちらは投資能力とIQに相関関係がないか統計を取るものです。
統計的に相関を見るものであって、あなたの投資能力を暗示するものではないのでご安心ください。
これではあくまで動作性IQ(行列推理)しか見ていないのでラフな感じでお願いいたします。

算出されるIQはそのまま扱わず、日本人平均との乖離を埋めるので結果をまとめる際には値が補正される事があります。

投資家100名、一般100名のデータを必要としています。
投資家という稀有な存在を自覚されて(?)ぜひとも我こそはとご協力お願いいたします。

現在100名超のご協力をいただいております。
参加いただいた方、これから参加するか迷っている方、ご協力ありがとうございます。

 

AIの潜在能力と相場の未来

 

AI(人口知能)による金融市場への影響について。

彼ら(AI)の台頭に怯える人は多い。
「投資で人はAIに勝てない」とか「アルゴに刈られた」のような話は絶えない。じゃあなぜ勝てないのか、どうすれば刈られずに済むかという所まで議論はなかなか及ばない。それは知らないから。この話の根源は知らない事への恐怖から来るものであり、神格化された天災のような彼らの実体に少しでも近づけないか考えてみたい。

AIが市場に介入しだすとどうなるのかと話を進めるにはまず織り込み済という概念を持ち出したい。

織り込み済とは、情報として世に出る頃には全て片付いているという考え方。

インターネットが軍事的に利用するために開発されて世に出てきた説は有名だ。現代では金融戦争やサイバーテロというコトバがあるように争いのフィールドが移りつつあり、AIが世界一巨大なマーケットである金融市場にすでに乗り込んでいる、というより、もはや金融市場を支配するために進化したモノである可能性すらあると個人的には思う。リターンは計り知れない。

考えられるのはこうだろうか。

『一日当たりの取引高数兆ドルを超える市場を操作し、金融システムそのものを操る事も可能とする』

*Wikipediaによると2016年時点、外国為替市場のみで6.5兆ドルを超える

このような潜在能力を持つAIは今どこまで来ているのか。

中央銀行である日本銀行(通称、日銀)のホームページにはこんな記載がある。

ショートプレゼンテーション:市場におけるAIの活用と今後の可能性

これは複数あるパネルリスト中の一つ。

元々、人工知能に明確な定義はなく、ここでは「人工知能≒古典的統計学以外の計算機での演算手法全般」としている。
金融関連でよく使われるものでは、テキストマイニングディープラーニングなどを主力に挙げている。これらの技術はより人間の脳に近くなったと表現するより、近年、ハードウェアの性能の向上によって大量のデータを脳の並列処理に似せたモノで処理できるようになってきたという方が近いのかもしれない。考察は後述するが、現段階ではハードウェアがソフトウェアを押し上げている状態ともいえる。

主に市場へのアプローチを一言で説明するならこんな感じになる。

テキストマイニング:文などから要素の抽出
ディープラーニング:分類により傾向を探る

具体的には、経済指標や要人発言など(以下、イベント)から要素を抽出し、過去の大量のデータと照らし合わせ瞬時に傾向を判断、注文を通す。などを行う事が可能になる。

どこかで聞いた事があると思えば、私たちの馴染み深いアルゴリズム。通称アルゴだ。彼らこそAIであり、常にトレーダーの悩みのタネとなってきたが、しかしこれはもう市場や私達の意識の中でも「織り込み済」だ。今さら改められても空返事しかできない。ではAIなんて驚くに値しないのか。それはどうだろう。

これまでは現段階のAIの話であり、これからどうなっていくのか、それにどう対峙していくのか考えたい。

AIの今後について、上の資料には次のように記されている。

将来的には中期(2〜3年)までも人間による投資戦略がシェアを失いつつある

これはファンダメンタルズの精度向上を示し、これまでの「優位性を得る」という考え方から、「予測性を手にする」という方向にシフトしつつあるという事だ。聖杯を手にするとは違う次元にある予測性。それは常に絶対を追求するもの。以上からこの性質を持つAI完成後の市場について段階を追って考える。

まずは現在、市場には無数のAIが存在していると仮定する。
イベントによってAIは値(答え)を導くが、個々に能力差があり計算結果は異なる。それがほんの誤差だとしてもゼロ(フラットな目線)をまたぐと、買いと判断するモノも売りと判断するモノもいる。だから売買は交錯する。また、その動きを狙うAIも出現するようになる。

イマココ(注1)。

つまり現段階では、予測性を手にする一歩手前まで来ていると予想する。
市場が大きな変化を見せずとも、参加者など(体系的なもの)は少しずつ変わっているのだろう。

そしてこれからの事。
大きく二つの可能性に分けてみる。

①ハードウェアは伸びるがソフトウェアが頭打ちになる

おそらく近い将来はここが壁になる、またはなっていると考えた。
これからは有限である市場データをどれだけ早く処理できるかを争い、いずれその差は演算結果の速さ、すなわち注文を通す速さのみとなる。

つまり世界に点在する各AIの能力差は無くなり、答えが揃い偏った注文で市場の値はワープし、イベントのボラティリティ上昇に繋がる。また、イベントが無いと導くものも無いのでイベント外のボラティリティは低下。

データは常に更新し続けるので、EMA(指数平滑移動平均線)のように、より近いデータを重視する概念がある限りその傾向は加速する。

AIは明確な予測性を持ったので管理はコストが掛かるファンドマネジャーじゃなくてもいい。こうして彼らは自然と減る事になる。

それでも今まで明確な優位性を示してきた優秀な者は独立。歴史になぞらえるとヘッジファンドとして活動し始める。また、AI vs HFなどと勝手な構図で煽るメディアも出てくるかもしれない。

疑問が一つ。利確は?

イベントによりAIは傾向のレベルを越えた正確な答えを導く。その結果、答えが正しいと教えてくれるのは何なのか?次のイベントか?だとすればそのイベントを待った方が良いのか、利確して次の不確定に起こりうるイベントを期待した方が後から振り返ると回転効率的に良かったという可能性は常に残る。

問題は続き、市場の動きもイベントとする場合。
イベントからAIが答えを導いて注文し市場が大きく動いた瞬間、それが新しいデータになる。更にそれを取り込むと…どうなる?

一つ明確なのはどこかで利確しなければならない事。
上のパターンでも言えるが、利確(反対売買、決済)するという条件がつくだけで、それは100年後かもしれないし1秒後かもしれない可能性が出てくる。その時点でイベント発生直後の新規注文の偏りに関係なく、売買が交錯する可能性は十分にある。回転効率的の件だ。

可能性があるという事は、それを考慮した能力を持たなければならない。この段階では予測性より優位性の方が重視される。つまり絶対ではないので、答えの誤りを想定しどこかで逃げる選択肢を持つ必要がある。絶対でない限り、その指標は大衆心理(テクニカル)の域を出ない。それはその時、ヒトが参加者として成立するかどうかで証明される

つまり色々経た上でイマココ(注1)に戻る。

また、次のようにも考えられる。
現在がこの状況である可能性も否定できない

今回の考察はここに集約するものだと考える。
「ニワトリが先かタマゴが先か」のように「消えるのはヒトが先か、大衆心理(テクニカル)が先か」というもの。一方がある限りこれらは存在し続ける。現段階のAIですら大衆心理をタイミングとして利用する価値がある事は、上の優位性>予測性の力関係で説明がつく。

今の私たちに出来る事は、思い通りにいかない相場に対して「これはAIのせいだ」と降参する事ではない。
テクニカルやそれ以外の優位性が示せる何かを存在維持するための考察や検証だ。

②ソフトウェアも伸びる場合

これはもう想像すら難しい。
マーケットの外で起こる事象が大きすぎて、つまり外的要因によって市場が成立しなくなるという可能性が高いと考える。

具体的には、AIが人間の判断(知能の前に)を超えた段階で政治判断などを任されれば、現在の金融システムそのものをひっくり返した世界を良しとして人類を導いてくれるかもしれない。そこにはマネーの総量、ドルがいくらだの、国債だの、これらが存在する価値はあるのか誰にも分からない。需要と供給の概念を超えた判断を下し、完全に要らないのに残る可能性だってある。過去の遺物を残すようなサンプルや文化としてではなく、ただただそこに在るものとして。やっぱり分からん。
 
 
 
あとがき。
人工知能は考えるほどよく分からない。
私たち人間の知能を超えるという事は、彼らを私たちが生きる社会の枠組みの中で処理しようとするとパラドックスが生じる。2045年問題(シンギュラリティ:技術的特異点)がいい例だ。

よく挙げられる人類滅亡論がある。
私達人類を敵とみなし排除、または奴隷扱いするなど。これらは歴史上、ヒトの間で小さな格付けの中で行われた事であり、例えば私達は無闇に猿を殺したりしない。

自分達の指標を持ってして知能が劣ると認識してる猿をだ。劣るからだとも言える。自分達の存在を脅かさないから。
その他生物も同様に、倫理観、自然界のサイクルなどから保護したり、過剰繁栄もそれなりに無視し続けている。

また、私達は創造を尊いモノとし、創造主(神など)であるとか色んな事象に感謝してきた。それにより宗教・科学が発展した。
現在は人間にも知能に差はあるがなんとか共存できている。とりあえず現段階では。

以上は全て私達の出来事であり理解できる。
AIを私達の理解におさめても、彼らより劣る私達を無闇に殺傷するメリットは謎だし、何なら創造主と感謝されてもおかしくはない。

機械が意識を持つかどうかには、性善説・性悪説のような裏表があるので簡単な議論はできない。膨大な情報量を持つインターネットに意識があるかどうかさえ確認できない(無いと言えない)時点で私達の理解の限界はずっと近くにある。AIはその理解の遥か外に出るとされている。色んな可能性がゼロじゃないというだけで、人類を消し始めるというのもその一つ。例えば隣人が急に私を殺したくなったというようなものだ。

滅亡説を唱えるならば、論点は、もっと早い段階に来ると思われる人間とAIを組み込んだ人間の対立。受け入れる者とそうでない者。「自分が自分でなくなるとは死を意味する」と考える者も居るだろう。反対に、意識を持つイチ人間が超越した場合、自分より劣る人間をどう見るのか。そっちのがよっぽど私達に想像しやすい暗い未来だと感じる。
 
以上の出来事を踏まえても、遺伝的アルゴリズムのようにいずれはAIと統合した人間だけが残るかもしれない。しかしその前に争いが起こる可能性は十分にある。 それで滅亡というのなら私達が考えられる範囲だ。更にその先を行く私達に理解できないAIについては、彼らと一つになった新しい人間に任せたらいいんじゃないかと思う。

 

レンジの定義が無い理由。脳と相場のポリリズム。

まえがき。

結論から言うと、レンジは手を出すべきじゃないという内容。

トレンドフォローが殆どの手法を占めている現代では当たり前に言われている事だ。トレードをするにもこの認識だけで十分だと思われる。

しかし損切りが続くとどうだろう。
今まで通りの手法を今まで通りのメンタルのまま守れるだろうか。

じゃあ20連敗したら?
思わずレンジに手を出したくならない?

と、色んなパターンを想定しても今日の平常心が保たれている自分で答えは出せない。
そんな状況に立たされた時、その判断力は手法の特性の認識、相場認識の差で決まると私は信じている。

今回は投資界隈で常識とされるレンジは手を出すべきじゃないを出来るだけ分解してみたい。子どもがおもちゃをバラバラにするような感じで。

***********

多くの人がトレンドフォロー、レンジオプション的戦略で分かれている。

更にその殆どはトレンドフォロー。
右も左も分からない頃からトレンドには逆らうなと私たちは教えられてきた。

教材に、ブログに、SNSに。

『●●相場にミセスワタナベまたも逆張り』

的な見出しを目にすることは多いが、これは抱えられた含み損の集合体であって戦略とは言いがたい。

基本的にトレンドフォローを順張り型、レンジ戦略を逆張り型とされるが、ここで論じたいのはどちらが優位かというものではなく、相場環境に適した手法を執っているか、また手法に適した相場環境を把握できているかという点から入っていきたい。

手法に逆張りという状況がある。

例えば、レンジの最中に移動平均線(以下、MA)をなみ縫いしたチャートを描いている時、トレンドフォローの花形である『MAのタッチで逆張り』を繰り返せばその度に損切りを迫られる可能性が高い。
また、レンジ相場に上限と決めた所で売るのはチャート的には逆張りだが手法には順張りである。という考え方。

画像1 MAをなみ縫いしたチャートの例

手法の特性を把握できていなければどんなに優れたモノも武器にも凶器にもならない。
優位性も劣位性も無ければ、スプレッド分(手数料分)負けていくだけだ。

特性とは手法が活きる環境とそうでない環境の認識。結婚でいう「病める時も健やかなる時も」だ。
他人の手法が使い物にならないという通説は、単純にその手法の事を知らないからで説明がつく。

包丁は一般的に料理で使用する道具だが、殺人犯が手に取る時は武器として見ている。
更に分かりにくく言うと、わき見による交通事故が絶えないのは時に車が凶器に変わる(代わる)意識が無いのとこれらは似ている。

目的が変われば結果が異なるのは何に置き換えても同じだ。

全ては環境認識に始まる。

環境とは相場状況。その判断基準はファンダメンタルズ的な材料だったり、テクニカル的なチャートの形成(形勢)だったり、人によって両者の比重は異なる。

目的は環境を認識するのであり、私が特に注意しているのは上か下か判断するものではないという事。戦略を立てる際、予定した時間軸で動くとは限らないからだ。

「さあトレードするぞ!」と姿勢を正して市場に臨むと、脳は「エントリーするぞ!さあ上か下どっちだ?」と無意識に都合の良い材料を探し始める。

テクニカルなりファンダなり、これまでの脳のストック(経験)から買いだの売りだの大雑把に判定する。このとき口からは「なんとなく、相場観」的な言葉が出てくる。こうなれば好材料以外をインプットしなくなる。

そんなのよっぽどポジティブな人だろうと思うが、むしろ逆で、市場に資金と自信を取り上げられたばかりのネガティブな状態ほどこの心境に陥りやすい。

人は追いつめられると環境認識に割く時間すら惜しくなる時もある。資金と自信だけでなく機会すら失うことを何よりも恐れてしまう。

今日まで機会損失というコトバで多くの人が犠牲になってきた。対して、一日中無心でチャートを眺めていられる人も存在する(時間を持て余す専業トレーダーとか)。
余計なバイアスが無いフラットな気持ちで臨む環境認識と、トレードをする前提で姿勢を正した環境認識。

たかが気持ちの問題が明日の運命を決めるのは市場においては日常の一つだ。

本題のレンジとトレンドに移りたい。

レンジは非常に難しい。動意付いた市場が何かに引き寄せられるように動いていくトレンドに対して、レンジとはそれ以外

トレンドじゃない全ての動きがレンジであると個人的には考える。ファンダメンタルズなど材料が全く無い、または材料同士が打ち消し合いエネルギーがゼロの状態を指す。私的。

*私は全てのトレンドが材料の初動(インパクト)だと考えているので、そのインパクトが消えた状態をレンジとしている。
トレンド継続の二波に続けば、それは材料のエネルギーが続いているとする。

また、大衆心理による投機的な買われすぎ売られすぎという考え方がある。

しかしそれは「いつ買われすぎるか」という予想は立てられず過ぎてしまった後に「今回は買われすぎた」と分かる事なので、この現象は確率の偏りの範疇と処理する。

一般的かどうかは知らないが、よくあるレンジの認識とは、高値を上限、安値を下限としたボックスを作り、その中でラリーしている状態を指す事が多い。

画像2 ボックス内をラリーするレンジの例

話を進める為とりあえずこの画像2を一般的なレンジの定義とする。勝手に

そして私の意見はこの「トレンド以外」をレンジと認識すると上では書いた。この考え方は一般的なレンジの認識とは若干異なる。

しかしトレンド以外では抽象的すぎるので戦略や手法を立てようがなく何の意味もない取り決めだ。
これをきちんと整理し、一般的に、大衆に、何でもいいが少しでも多くの人が納得できる解釈を示す必要がある。
個人的にもレンジを定義し、そこから戦略や環境認識のヒントにならないか考えてみたい。

先に、あまり好ましくないが、上の「一般的なレンジ」を否定する形から入りレンジらしく定義の上限を広げていこうと思う(?)

一般的なレンジはボックスを作るとあるがその最中でも小さな揉み合いがあり、つまりボックスの中にボックスを作る場合がある。

ということは現在、上限・下限を定めているボックスも更に大きいボックスの中に存在している可能性も考慮しなければならない。マトリョーシカ的な。

例えば高値圏での揉み合い(高止まり)はブレイクアウトを期待してしまうが、しかしこの時ボックスを出たと思えば上位のボックス圏に移っただけという場合もある。上がった値はレンジなのでまた下に戻っていく。さっきのボックスを忘れたかのように通過する事もある。

しかし上限を広げたらすぐに下限を広げるとは限らない。上に50pipsブレイク後に戻したからといって、次は下に50pipsブレイクするとは限らない。
上に二日かけて上限を伸ばしたからといって、戻した時に下限を広げるのに二日かかるとも限らない。

要するに値幅・期間ともに対称性は全く保証されていない。ボックスからボックスへの移動に規則性を見出せないのならトレードは控えるべきだと考える。

画像3 ボックスからボックスへの移動例

下の画像4のようにV字を描いて戻していく場合も多々ある。折り返し地点を中心とした綺麗なVの字。
中心点の左側を参考に売買が行われる。これは市場の動意付いた動きと私は認識している。

つまりトレンドの一つだ。上限や下限、同じラインで反発し、また別のラインを目指していく。意識された値に引き寄せられるエネルギーである事に変わりはない。

画像4 V字を描きボックス内を行き交うトレンド

以上からまとめると、

①ボックス間の移動は気まぐれに起こり得る。
②折返し地点を中心とした対称性は保証されない。
③明らかに意識された②はトレンドに分類する。
④ ①、②、③はいつでも起こり得るものとする。

ランダムそのものがレンジであるという認識に近い。

このランダムの中にはもちろん非ランダム(規則性)が見られる場合もある。例えば、円周率の中に9がn個連続したとしよう。その連続した9の部分だけを切り取ると確かに「9が連続している」という規則性を持つが、全体(円周率8兆桁など)でみるとほんの気まぐれ、確率論でいう偏りに過ぎない。

ランダムは非ランダム(偏り)が入る余地すらランダムなのだ。これは上でいう②と③に当てはまる。このランダム間に非ランダム(規則性)が内在するという考え方は疑似相関に詳しい。

*現在円周率はランダムと証明された訳ではない。また小数点以下762桁目に9は6個連続し、564,665,206桁目には9個連続する。

ボックスのマトリョーシカの中で利益を生むのは簡単な事ではない。それはボックスを移動するかどうかさえランダムである可能性を上で説明した。

過去チャートから規則性を見つけるのはカンタンだが、リアルタイムでそれが見つけられるのはまた違う話だ。このような錯覚はシミュラクラ現象(3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされている脳の働き)に似た現象が起こっているのだろう。

ヒトはチャートを見た時、脳のメモリから似た形を引っ張り出し目の前のチャートと照合する。この時、規則性を持つ形はいくらでもストックできるのに対し、ランダムはランダムとしか脳は認識できない
目の前のランダムウォークしたチャートを過去に当てはめる事ができないのだ。それができればそういう形の規則性であるので当たり前だ。

また規則性を持たないと記憶出来ないのは脳のメモリ容量(短期記憶)の問題もあるだろう。コンピュータを例に挙げると分かりやすい。

とある二つの数列(九桁)のデータ容量で考えてみる。

“999999999”を保存するには「9を9個」と圧縮できる。繰り返し処理的なコンピュータ演算の考え方でもある。

一方で、”011235813″(ランダム)の数列を保存するには、そっくりそのまま”011235813″と保存する必要がある。

データが大きくなるほどこの容量差は開いていく。
ヒトの脳はこういった効率の悪いデータは見たり聞いたりしたそばから抜け落ちていく。奥にしまい込む前に。

しかし、脳のスペック的に規則性を見つけられるかどうかには個人差があるので、レンジ(ランダム)と認識する範囲もまた人次第という事になる。

例えば、上にランダムとして挙げた”011235813″が実はフィボナッチ数列であると見た瞬間に気づく(感じる)人も世の中には存在する。そういう人にはこの数列が一つの規則性を持つデータとして処理できている事になる。

更に稀な例として、24時間データを更新し続けるランダムなチャートをランダムのまま記憶できる人の存在も否定できない。この能力は紛れもなく天才でしかない。

*規則性という点で市場のチャート分析には、一般的なIQ(知能指数)を計測するレーヴン漸進的マトリックスに非常に似ていると個人的に感じる。
ヒトのIQと投資能力に相関や因果関係があるのか、知能というタブー視された角度からのアプローチもまた違った形で詳しく調べて書いてみたい。

こういった個人差が、長年の相場の歴史をもってしてもレンジを明確に定義できない一因になっていると推測する。「ココをこうやってこうして、ココがこうなって、ココからココまでがレンジです」と言われても大抵の人は理解できない。

上で勝手に決めた一般的なレンジの定義のようなカンタンな説明(良く言うと研ぎ澄まされた説明)のみが広まるのも自然な流れなのかもしれない。

結局のところ、トレンドとレンジを判断する基準は人次第とした。明確な定義は無いので、自分で基準を作らなければ何の判断も下せないのだ。
機械的にインジケーターやオシレーターをシグナルとするのか、ファンダメンタルズによって判断するのか、両者を用いるのか手法はそれぞれ自由だ。

迷うなら誰かの手法をとりあえず使ってみるのもいい。それでオリジナルが出来上がればいい。仮説をもってしか前に進めない学術的な新しい理論のようなものだ。もちろん誰かの手法が肌に合うならそのまま使い続けてもいいし。

理屈ばかりこねてもウンザリすると思うので(私も)、次の記事では実践的で応用的な、もはや「これさえあれば勝てる!」的な内容を書いていきたい。上でいう仮の手法を置いていくつもりだ。

どれだけ細かく分解し理解を深められるかは私の説明にかかっていると思うので、丁寧に書くので、時間が欲しいので。

投資と投機とギャンブルについて

これらの違いについて考えたい。

投資と投機では明確な定義が無いのでココでは次のように定義する。

投資:将来期待できそうなモノに資本を投下するもの。配当、金利、優待を得つつ育てる等

投機:短期的な価格変動を機会と見なし利ざやを得ようとするもの

投機は元々仏教用語らしい。
禅宗で師家と弟子の機(はたらき)が一つになる事。また修行者が大いなる悟りを開く事。転じて、機会をうまく得ようとする意味となり、更に偶然の利益・幸運を狙う行為を表すようになった。
ユライカ引用

こんな感じでいく。

私自身は、この界隈に触れた頃すでにデイトレードで行く気だったので投機という言葉を知りしだい投機と表現するようになった。投資家を名乗り否定されるのが面倒だったのが一番の理由。世間では「投機?ナニソレ?」となるので周りには普通に投資と伝えていた。

今では自身の中で両者に明確な違いは無い。なのでこれから説明する際に使う投資・投機の表現は一般的にの意味合いである事を覚えておいて欲しい。

私を含め、ココを見る殆どの方のメインはFXや先物などデリバティブ寄りが多数だと思うが、これら(デリバティブ)は問答無用に投機物である事は承知の上だろう。そんな私たちは総じて投機家だ

対する投資家は、不動産や株式など実体があるまたは実体に限りなく近いもの(現物)を長期で扱う。彼らは私たち投機家を格下に見ている事も少なくない。ちょっとしたサプライズで目の前の小動きに右往左往する投機家はやはり滑稽に見えるのだろう。もちろん必ずしもそうとは限らない

世間的にも、家に篭ってデイトレードなんかよりマンション経営をしていた方が印象はイイ。転売のように利ざやを抜くだけなのは何も経済的ではない。流動性?そんなもの知ったこっちゃないというように一般的にはまだまだこんなものでズルイ人という負荷価値が加わり、親に経済的に依存する無職(ニート)より社会的地位は低かったりする。ゼロより後方のマイナスだ。

しかしよく考えてみると、リスクを背負い資本を膨らまそうとする行為である事に両者で違いはない。
きっと遥か昔は上記全ての行為を投資と分類されていた。当時は何と表現したか知らないが。こだわりなく状況に応じて利ざやを得たり長期で金利を確保したりしてきたのだろう。そんな中でとある投資家が、短期取引のつもりが思わぬ含み損を抱えてしまい、その焦りによって自己防衛やら正当化から投機を投機として区別しだしたと予想する。こんな短期の売買なんぞけしからんぞ的な。

それとは別にマーケットをかき乱しているのも私たち投機筋だという声もある。
短期で大きなレバレッジをかけて売買を繰り返し、それを追うようなアルゴリズムまで出現したとされる。しかしこれらの点については真反対の意見もある。

例えば投機そのものである「空売り」の概念。1950年代、ヘッジファンドの親 A・W・ジョーンズが現在の金融市場に持ち込んだ(または普及させた)と記憶しているが、ヘッジファンドらは、この様な反対売買が成り立つ事でより相場は安定すると主張した。私たち投機家が過度なボラティリティを防ぎ流動性に貢献している。という意見もあるのだ。

*空売りの歴史は古くからある。江戸時代には米価が空売りによる相場操作で市況が悪化し、後に様々な米騒動等を招いたという記録もあるらしい。こうして見るとやはり投機家は歴史的にもヒール役か。

投資や投機に限らず、基本的にリスクを取る人の立場は弱い。失敗すれば「そら見たことか」と叩かれ、成功してもやはりズルイのだ。私たちは、社会に属し集団生活で上手くやっていくにはズルイ事はせずにひたむきに努力をする必要があり、努力に勝るものは無いと教えられてきた。その傾向はこの界隈にも見受けられ、例えば多くの支持がある著書『投資苑』にはこんな文節がある。

*********

・成功するトレーダーのゴールは最高のトレードをする事です。
・あらゆる分野におけるプロフェッショナルがどのように振る舞うのかを思い浮かべてください。良い先生、医者、弁護士、農家、その他プロはおカネを儲けますが、彼らは仕事中に決して銭勘定をしたりしないのです。
・おカネは結果としてほぼ間違いなく後からついてくるのです。

*********

投資で稼ぐには決してカンタンではなく、日々の積み重ねが大事である。的なノリ。

上の表現にあえてツッコむのなら、
医者が患者の命を優先するようにトレーダーは利益の確保や危機管理を優先しなければならないのでは。成果より行いを重視し、トレーダーの仕事が良いトレードをする事であるというのなら、医者は患者の命より良い手術を優先しなければならない。それこそ手段が目的となっているのではないか。手段の目的化とは、本来他の成果を得るための手段である行動について、その行動をとること自体が目的となってしまうことだ。

分析がしたいならアナリストにでもなればいい。おカネは結果として後からついてくるのだから。

そもそもトレードに模範があるかの様な前提が疑問だ。
その模範がハッキリと分かれば私たちはこんなに苦労しただろうか。多くの人があらゆる情報を求めると共に、多くの情報元(商材・書籍)が乱立しているのが現状だ。需要があるから供給があるのは当たり前だ。つまり、この『投資苑』が存在する事自体、トレードにあるべき姿など無いのを証明している

このようにそれ相応の努力が稼ぎに繋がるという信仰はこの界隈でも同じ事だった。
「努力は評価されるべき」だから「稼ぐには努力が必要である」または「努力をしなければ稼げない」という「〜であるべき」から「〜である」への飛躍。
この論理的な誤りを道徳主義の誤謬とか言う。

こうして多くの人は信じる道を敷かれているのかもしれない。本を読んだり他人から教わるなど、知識を得るのはそれほど難しい事ではない。しかし自分で考えるとなると、天才でない限り、基礎知識の上に創造というさらなる労力が必要となる。
でもこう考えるのはどうだろう。稼ぐには努力が必要である。いや、努力をしなければ稼ぐことはできないのだ。

私個人の意見。
経済は長期で見るほどモヤがかかり読みにくいと思っている。中央銀行のトップですら道を踏み違える事も多々ある中で、一個人の私が読めると考える方がオカシイ
投資の神様と称されるウォーレン・バフェットも10年、20年後に必要そうなモノ(事業)を買っていると言及しているが、情勢を読むだとか経済政策には殆ど触れていない。

はるか将来の需給を読むのはもはやスピリチュアルの世界であり、その才能を持っているかどうかはそれこそ運なのだと思う。そこを努力で補えるなら、マジメな日本人からスティーブ・ジョブズが大量発生していてもおかしくない。私にとっては投資とはそういう位置づけなのだ。

対して投機はどうなのか。
投機のアプローチも様々だが、大部分は「相場を読みつつ回転効率を意識する」人が多数だと思う。相場を読むとはマクロ的に政局を読んだり、テクニカルによって「分析」「検証」にて、より精度の高い相場予想をするもの。環境認識とも言う。

回転効率を意識するとは確率的収束に則ったもので、ソレを続けられるマインド、もしもの事故に備えたリスク管理などを徹底するもの。
上か下か、ほぼ50%に収束する的中率を1%でも2%でも上げるにはいくら時間が掛かるのか、そんな事は誰にも分からない。エントリーのチャンスは無限のように語られるが時間は有限なので実はそうとも言えない。投資家といってもサラリーマンと兼業している方が多いと思うので尚更だろう。

情報量が多すぎるこの界隈では完ペキ主義では思うように前に進まず、私たちは何を学ぶ必要があるか常に考えなければならない。この事から「相場を読みつつ回転を上げる」をブレンドした所に着地した。おそらく殆どの人が。

もしもの有事から身を守る為のリスク管理へのアプローチは短期で動く投機家も長期の投資家とさほど変わらない。
また投資家に陥りがちないずれ価値を戻すだろうとリスクを覚悟できてなかったり、価値が無くなるリスクを見落としたまま配当や金利を計算するなどといったものが投機では考えにくい。そんな事をしていれば明日にでも市場から退場できるからだ。

そうならないためにも、自分のできる事をしっかりこなし後は運頼みというのが私の考える投機家のあるべき姿だ。

 

運頼みといえばギャンブル。

たまに「自分がしているのはギャンブルではなく投資(投機)だ」と相場をパチンコや競馬などと分け隔てようとする人がいるが、投資と投機の場合と同じく、リスクを許容しなければならないという点で違いはない。各国の金融政策を追ったり政治(企業)分析を図ったりなど、小難しそうな事をしていても本質的には何ら変わりない。

ソコを分別してしまう人はそんな生真面目さが仇となってリスクを受け入れられていないのかもしれない。市場分析でも絶対に近いものを追い求め、多くの時間と資金を浪費している可能性も高い。

対して、ギャンブラーと自称する人ほど予想を外しても「まあこんなもんか」と次の取引に集中できているというパラドックスが現実に起こっている。

今自分がしたいのは何なのか、利益を求めるのか、分析したいだけなのか改めて問いたい。

遅い結論となったが、私の中ではリスク管理の観点から投機家は投資家でもある。そして、それらはギャンブルと本質的な所では変わらない。わざわざ分けて考えるとヘタな思い込みにも繋がるので私にとってはどっちでも良い事。

ただし色々な考え方があるので、投資と投機、そしてギャンブルを完全に区別する人が居ても、ソレを否定する気はない。
いつかの自分の言葉を借りるが「絶対ないは絶対ない」とも言い切れない。絶対はあるかもしれない
何かを断言する事こそこの考え方を否定する事になるので、上で主張したのは全て私の一意見である事を最後に記しておく。

トレードのスタイルは変わりつつある

電器屋のようにモニタを並べ鬼の形相で睨みつけるトレーダーは今や過去のもの。

じゃあなんだ、スマホトレード?シグナル配信?

"彼ら"はそれすらもう古いと笑うだろう。私は現在市場に出回っているというある噂を入手する事に成功した。今回はその一部に出回っていた極秘情報を展開する。

さっそくご覧頂こう。

この書き込みに何度か出てくる"壺(つぼ)"に鍵がありそうだ。それも彼の口からハッキリと「これからのトレーダーの基本スタイルだろうな」と述べている。

一見、トレーダーと壺に関係性は感じられないがインターネットで検索してみると・・・・

あった!!

やはり噂は真実らしい。

この後も証拠は次々と現れた。

どうやら「叫びの壺」というらしく、この壺を口に当てて叫ぶと声が閉じ込められ、周りにはほとんど聞こえないらしい。

トレードには損失がつきもの。
その度にトレーダーはモニターを何枚も叩き割ったり近くに居たネコをぶっ飛ばしたりしてきた。そんな過ちは二度と犯してはならない。
これからはこの「叫びの壺」に怒りをぶつける事で経費をグッと落とす事も可能だ。救われる命もあるかもしれない。
初めて目にした方はぜひお買い求めよ。

またサラリーマン投資家(兼業トレーダー)であれば、出勤の際にこの壺に書類などを入れれば荷物の軽減にもなる。オススメは水筒入れだ。

実使用にあたっては、仕事中に悪材料があって社内のトイレに駆け込む時なんかに持ち込めばいい。しかし「おめえ、これに用を足すのか…!」となりかねないので注意が必要だ。

価格。
トレーダーともあれば気になるのはやはり価格。長年相場を張ってきた者達がこんな物を高値で掴むワケにはいかない。という事で調べてきた。

叫びの壺/JPY

rate :5122yen
high :10244yen
low : 4980yen
open : 5×××yen

ハッキリとした情報は掴めていないが、8年程前から市場に出回っているとされている。高値圏はおそらく”板”でいう見せ玉だろう。なのでチャート的にはほぼ横ばいと予想する。安値をつけた時期によってはブレイクの途中とも考えられる。トレンドは今どこにあるのか。

しかし、時期を待たずに生産元が生産量引き締めに入るとレートの上昇は免れないだろう。また、近頃の暗号通貨市場の高騰で資金が潤沢になった投資家がリスクを取りにくる(買い占める)可能性も否定できない。当サイトではここら辺りで「買い」シグナル点灯とする。4980台では再び買い意欲が見られるか。

記事を作成している途中でこんなものを見つけてしまった。

中古て。嫌すぎる。
見知らぬ人の唾液や悲痛でいっぱいの壺なんか誰も要らないだろう。肝心の「未使用です」が表記されていないとこうも不安になるとは。しかも「価格(ask)1580円」に対して「買取価格(bit) 650円」とはスプレッドが広すぎる。これに手を出す投機筋はやはり玄人か。

実需に関して。
これを使えばどこでも叫ぶ事ができる。トレーダーだけにとどまらず、疲れた現代人にはこれから必須になるのではないか。例えば、電車などの公共施設でも突然叫べる。うるさい迷惑からキモイ迷惑になる。
また、少し前には母の日があった。ギフトに、この壺に花を生けてプレゼントするのもアリかもしれない。叫びの花だよとでも言えばいい。しかしながら、使用においてはまだ未知数な部分も多い。

おまけ

壺にしては安価なようだ。
割安というだけの理由で買うのもアリ。

ワンチャンスを狙って査定に出すのもアリ。
現在レート5122円を上回るようであれば十分な優位性を確保できるのではないか。テスターを使って検証してみるといい。ココだけの話である。

この記事を書くためにAmazonのアフィを登録してきた。長い間放置してきた収益化をここで一歩前進させる事ができた。拍手👏。